希望希望nullの国』

おうちに帰ろう. この一言に涙が止まらない133分でした. 福島原発事故の収束が見えない今だからこそ、そして原発事故は所詮他人事だと心のどこかで思っている日本人が大多数を占める今だからこそ、園子温監督が描き出す必死に生きようとするある家族の絆. この絆を大切にしない限り、日本が希望の国になれることはないと思える映画でした. 家族団欒で食卓を囲んでいた小野家が若夫婦の身を案じて父と子で言い争い、父子で言い争いをしていた鈴木家がヨーコの両親探しを通して父が息子の背中を押す. 妊娠したいずみが放射能恐怖症になり、両親との間に無数の杭を感じてしまう洋一が決断できずに苦しみ、被災地を離れれば妊婦・子供・職場などあらゆる場所で風評被害による偏見が蔓延る. このどれもが現在の福島で実際に起きていること. この映画の舞台である架空都市の長島県で繰り返されていること. つまりこれが日本の現状であり、この映画で描かれていることは全て等身大であると言っても過言ではないと思うのです. ですから阪神大震災を経験し、洋一やいずみと同じ30代の私にとっては小野家の老夫婦が自分の両親のように見えて涙が止まらないこと. 特に夏八木勲さん演じるオヤジさんの家を想い、妻を想い、家族を想う、「自分が生きてきた印」という言葉は凄く胸に残るんですよね. 町役場職員の加藤も言ってましたが、思い出の場所を納得いかない理由で去らなければならないということは、ある意味自分の人生の一部を捨てろと言われているようなもの. でも政府や世間はそんな非情なことを安全・安心という言葉に置き換えて平気で言ってくる. 自分の両親がどんなに頑張って生きてきたかも、自分がここで30年足らずでもたくさんの思い出を作ってきたかも知らずに、人間としての尊重をする気もないかのように理由も説明せずに形式的に言ってくる. 痴呆症の千恵子が何度も繰り返す「おうちに帰ろうよ」というセリフ. 先日TV放送されたこの映画の特番で園子温監督は被災者の本音を全て千恵子のセリフで代弁したと仰っていましたが、この「おうちに帰る」というごく単純な願いが叶えられていないことをいったいどれだけの日本人が知識ではなく心で知っているのか. 家族が笑顔で食卓を囲み、電話ではなく直接面と向かって話をするというごく当たり前の生活こそが「おうち」のはず. 婚約指輪を肥溜めに落としてしまったという昔話を談笑できるのも「おうち」のはず. 盆踊りを夫婦で楽しく踊った帰りに妻をおんぶした夫がその思い出も「おうち」のはず. その「おうち」が奪われている現在の日本. この国が希望の国になるためには洋一やいずみ、ミツルやヨーコといった若い世代の我々が一歩一歩進まなければならない. そんな思いを込めてか、この映画のラストで園子温監督が自ら書かれた「希望の国」というタイトルが登場した時、私の中にこの時代に生きるがゆえの「我々若い世代には偏見に満ちている暇などない. 現実を知り、希望に向かって進まねばならない」という責任を強く感じました. 深夜らじお@の映画館 は小野家の老夫婦には「それでも世界は美しい」と思えるまで生きてほしかったです. ※お知らせとお願い 独自のAIを搭載したnull自律型探索ロボットが ■ 【元町映画館】 に行こう.